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2009年7月 6日 (月)

ウォークマン発売30年

ソニーの「ウォークマン」(ヘッドホンステレオ)が登場してから、この7月で30年になったという。発売開始当時、私はアマゾンのジャングルでサルを追って暮らしていた。1年ぶりに帰ってくると、若者を中心にイヤホンをしたまま街を歩いている光景に出くわし、驚嘆というより当惑を覚えた浦島太郎のような印象が、今も生々しい。
現代をさかのぼること数世紀、英国で乗合馬車という便利な公共交通手段が出現した際に、活版印刷された代物を手に客が乗り込むようになり、読書にいそしむのがトレンドになったときにも、ついていけなかったオジサンは同じような気持ちだったのかなあと、当時を顧みて思う。むろん昨今では、ケータイが本に取って代わりつつあるけれど…。
ただし書籍と違って、ウォークマンはケータイの普及と競合することはないようだ。そもそもは車内で、見知らぬ同乗者と顔を突き合わせる気まずさを避けたいという発想から、本の持参は流行するようになったのだという。ウォークマンの普及も明らかにその延長線上にあるといっていいだろう。
ヘッドセットをすることで、公共空間においてすら「私は自分だけの世界に浸りたいのだ」というメッセージを周囲に明示できるのである。しかも文書を目で追うより集中力を要しない分、楽にできる。極端な話、実際には機器から音を流さなくとも聴いているふりができて、当初の目的を達成できる! ほかの人から何を聴いているのか詮索(せんさく)されることもない。ケータイだって外で画面をのぞく場合に見られないかと気を使った経験は、誰でも一度や二度したことがあるのではないでしょうか。
製作者が意図していたかどうかは別にしてウォークマンは、オープンな場ですら人間がプライベートな空間を確保できるツールとして、うってつけの発明品だった。だから、みんなのいる所でひとり悦に入って、からだでリズムをとっていたりすると、多少とも周りは不快に感ずる。音漏れなどしようものなら、尚更だ。人と人が過剰なまでに行き交う現代のストレスが、ポータブルオーディオ機器の需要の背後には存在する。そして機器の使用が日常化するなかで、私たちの音楽文化そのものが変貌(へんぼう)を遂げつつある事実を見逃すわけにはいかないだろう。
実のところ音楽の起源は、ことばの起源より歴史が古いのである。最近の研究では、人類によって今日用いられているような言語が進化したのは、高々20万年前程度にすぎないことが明らかとなっている。かたや歌うという行動は、われわれの祖先ばかりか類人猿でも観察される。しかもその機能は、仲間同士の社会的絆(きずな)を強めるという点で共通している。共に歌うということを介して、心と心を通い合わせる術を進化させてきた。それこそが他の動物にはない高度に発達した共同体の形成を可能にしたのだろう。それは音楽を耳にして、感動を共有する人間の伝統社会の体験のなかにも脈々と受け継がれてきた。
ところがウォークマンの出現で、状況は一変することになった。だって私たちは常にひとりっきりで、流れてくる音楽と向き合うのだから。かつては街に、歌声喫茶なる店が普通に存在した。カラオケにすっかり取って代わられたものの、一緒にカラオケに行ったところで今や連れが歌っている間、ほかの連中は自分が次に歌う曲を検索するのに夢中だったりして、誰かと唱和しようとはユメ思わないのではないか。
コミュニケーション過多ともいえる今日、それに疲れた心をもっぱら癒やすことを音楽は期待されるようになった。

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